運動音痴のサッカー好きが大人になったら

かろうじて小学校はサッカー部。その後は文化部だった運動音痴が、それでもオタク的なサッカー好きに成長して、フットサル、息子の所属するスポーツ少年団でパパさんコーチをこなす奮闘記

主張をしない次男坊

土曜日、次男坊が、スポ少の練習中に帽子を無くした。

めちゃくちゃ暑いのに、なんか途中から被っていないのは気づいていたけれど、練習後も居残りでボール蹴ろうとしていたので、やってもいいけど、まずは帽子を被れ、と声をかけると、無くなったと。
無くなったのはいいけど、なぜ、無くなった瞬間に言わない。

鞄の上に置いていたのだけれど、気づいたら無くなっていたと。
それっていつよ、と聞くと、試合前という返答。
だったら、まだ20分ぐらいしかたっていないし、風も強くないから、飛んで行ったとしてもその辺りにあるはず。長男も呼び寄せて探したが、見つからず。

だから、その瞬間に行ってくれれば、すぐ見つけられたかもしれんのに。
みんな、帰っちゃった後じゃ、手伝ってもらうこともできんじゃん。

いい加減、この辺りで僕も頭に来ていたので、次男には、
「この暑い日に、帽子も被らずに参加はさせない。だから、今のままじゃ明日は休ませる」
「帽子を無くすのは仕方ないにせよ、すぐに助けを求めんような奴に、俺は帽子を買ってやりたくない」
「明日、参加したいのなら、お母さんに帽子買ってと頼め」

しかし、帰ってシャワー浴びた後も、お母さんに声をかける素振りが全くない。
お父さんがお母さんに話をしてくれると思っている?
帽子がないことに気づいたお母さんが助けてくれると思っている?

怒り爆発。
こいつ、前からそうなんだ。
人に助けを求めるのが恥ずかしいのか何なのか判らんけれど、自分から何々をしてほしいと話すことを全くしようとしない。
サッカーに関することは好きという気持ちが上回るのか、試合中も「ヘイ」と声を上げるし、ホントに積極的にプレーに関与しようとするだけれど、それ以外のことが全然ダメ。
困ってても声掛けられないし、てへへって笑うだけで、誰かが気づいて助けてくれるのを待ってる。

自分の過ちを誤魔化そうとするところもある。
よくよく話を紐解かせてみたら、実は帽子無くしたの試合前ではないっぽい。だって、結構早い時間帯から帽子被っていなかったし。
たぶん、帽子ないことを言わないままサッカーやってたことを怒られると思って、嘘ついたんだろうけれど。

もうそんな奴にサッカーなんか、やらせられるか。
やりたい・やりたくないもちゃんと言えんような奴に、周りが気を使って環境整えてくれると思ったら大きな間違いだ。

サッカーはもうやらせん、と声を荒げたら、ようやく「いやだ。サッカーしたい」との声。
ともかく帽子は無いし、反省させる意味も込めて明日は休ませる、と通告しても、ただただ首を振るばかり。

妻も、「あんた、ちゃんと何がしたいかとか、何をしてほしいとか、ちゃんと自分の口から言わないと周りは判ってくれないよ」と諭し始める。
なんとか帽子は昔買った別のがあったので、そこは解決したものの、とりあえず僕は、明日は参加させない、の一点張り。
それに対する次男は、これまた、ただ首を振るばかり。

「そうじゃなくて、言葉でちゃんと言わなきゃダメでしょ」と妻が言い続けて、ようやく30分後、僕のもとに来て、次男が「明日もサッカーやらせてください」。なんで、これを言うのに、こんな時間がかかるんだよ。

大丈夫か、大丈夫か。大好きなサッカーをやりたいってことを、親しい親に言うのにでさえこんなかかっていて、他のシチュエーションできちんと次男は主張できるようになるのか。

いい加減、この部分を直してやりたく、僕は次男坊に意地悪を。
「サッカーやりたいのはいいけど、俺はお前のそういう部分を直してやりたい」
「でも、今のスポ少では、俺がコーチをやってしまっている以上、お前は主張しなくても、俺が助けてしまえる状態になってしまっている」
「それをお前が、良しと思っているのだとしたら、大きな間違いだ」
「俺は、お前を助けるためにコーチをしているわけではない」
「とはいえ、俺がコーチを辞めてしまっては、他の子たちに迷惑がかかる」


「だから、お前、チームを変えよう」


「今、通っているスクールだって、チーム活動している。そっちだっていいじゃないか」
「明日もサッカーしたいっていうなら、明日は隣のスポ少に体験に行こう。俺も、明日は休んで、お前について行ってやるから」
「サッカーが好きなんだろ。だったら、どこのチームでやったっていいじゃないか」


次男坊「いやだ、今のチームがいい」
僕「じゃあ、なんで今のチームがいいのか、言ってごらんよ」


はい、こっから「みんなとサッカーするのが楽しいから」という言葉が出てくるまで、なんと2時間。
途中、妻や長男の声掛け(「何がいいのか言うだけじゃん」)が何度もあったなか、それを言うのにどうしてこんなに時間がかかるの。本当は別の理由があって、それを言うと怒られると思って言えなかった? ホントに親父がコーチだと楽だからと思ってるから?


ともかく、前途多難で暗澹たる気持ちになる。
当然、サッカーをやっていく上で自己主張は大事で。自分はどういうプレーをしたい、相手にどういう風に動いてほしい、どこにパスを出してほしい。守備の時、どの相手を見ていてほしい。どこにポジショニングを修正してほしい。
判断を間違うこともあるだろう。そこはドリブルじゃなくて、パスだろう、とか。けど、それもどういった判断で自分がその選択を選んだかを説明することはすごく大事で。ドリブルで抜けると思ったのか。パスするほうが確率が悪いと思ったのか。そもそも味方が見えていなかったのか。それによって、こっちの指導の仕方も変わる。そこでちゃんと自分の考えていたことを主張できなければ、適切な指導も受けられない。

上に書いたとおり、ことサッカーに関しては次男もそこそこ主張できそうな下地はあるものの、所詮サッカーである。
サッカーだけで主張できたって、何の意味もない。もっと大事な人生において、現状、きっとこの性格は足を引っ張るほうにしか行かないだろうな、というマイナスポイントが見えてしまっている。

自分自身サッカー好きなので、もちろん子供たちもサッカーが上手くなってくれると嬉しい。
でも、それ以上にスポーツをすることで得られるものはとても大きく(自分がなまじやってこなかったために、余計にそう感じる)、ぜひサッカーを通じて己の人格形成に役立ててほしいんだけどなぁ。

それは次男坊だけでなく、他の子もそうだけど。