運動音痴のサッカー好きが大人になったら

かろうじて小学校はサッカー部。その後は文化部だった運動音痴が、それでもオタク的なサッカー好きに成長して、フットサル、息子の所属するスポーツ少年団でパパさんコーチをこなす奮闘記

平成最後のフットサル

えーと、今日フットサルしました。

 

平成最後のフットサル。

 

最後の試合で1点決めて、お、ちょうどこのチームの平成最後のゴールは僕か、と喜んでいたら、他のやつが決めやがって、それならと、コーナーから平成最後のゴールをアシストしてやりました。

 

個人的な意見を言ってしまうと、正直、元号なんぞ要らん、と思っている。

次の元号は何になると思いますか、という新聞の質問に対して、一定数の方々が、元号なんぞ、もう要らん、と答えてくれたことに関して、非常に安堵したのを覚えている。

 

いや、だって要らんでしょ。

西暦年と元号の換算も面倒くさいし、元号使う場面と西暦年を使う場面がマチマチなのもよく判らんし、グローバルと言ってる癖して大元が日本にしか通じない制度を使い続けているのも訳わからんし。

 

絶好のチャンスだったとは思います。

仮に天皇崩御して、その日のうちに次の元号決めないかんて時に、いやいや、元号なんぞもう止めてしまおう、などという意見を議論してる場合じゃないというのも理解できる。

だからこそ、この200年振りの、もしかするともう2度と訪れないかもしれない、時間をかけて議論できるときを結局そのまま過去の習慣をそのまま踏襲してしまったのは、もちろん多分そういった議論が政府内にあったんだろうけれど、やっぱし残念には思う。

唯一の機会を逃したな。

 

けど、そんな中、元号の持つ意味って、決して少なくはないかなぁ、と思う今日この頃。

 

いや、要するにさ、2000年代、2010年代のサッカーベスト11的な特集はわりとあったりするけど、平成という時間軸だとまたちょっと変わったりするんじゃないか、そういう視点で歴史を見てみたりすると、少し結果が違ってきたりして、まぁ、そういうので違った話ができるなら、それが日本国民にしか通じない話だったとしても、面白い視点になるんじゃなかろうか、と思う次第。