運動音痴のサッカー好きが大人になったら

かろうじて小学校はサッカー部。その後は文化部だった運動音痴が、それでもオタク的なサッカー好きに成長して、フットサル、息子の所属するスポーツ少年団でパパさんコーチをこなす奮闘記

松坂世代

野球の話かと思いきや、結局、サッカーの話。

 

ちょっと古い話ですが、松坂、引退しましたね。

甲子園での準々決勝のPL学園との死闘は見てなかったけれど、準決勝の明徳義塾戦はテレビで見ていて。松坂、先発できない中で6点のビハインド。そこから4点返して、松坂がマウンドに上がって、漫画かと思うような逆転劇。

その漫画には続きがあって、決勝戦ではノーヒットノーラン。「持っている」スポーツ選手は数多くいるけれど、1番強烈だったのは彼だった。

 

プロに入っての初登板も衛星放送で見ていた覚えがある。

伸び伸びとしたストレートと、躍動感のある投球フォーム。調子がいい時には手がつけられないが、立ち上がりの悪さもある印象で、15勝15敗なんてシーズンもあった。

高卒1年目から活躍するって、昨今のプロ野球見てるといかにスゴかったか判るし、日本での成績を見ると、申し訳ないが、大リーグに行かなければ、と思ってしまう。

 

無理に向こう行く必要あるのかね。

特にピッチャーは中4日で酷使されて、松坂もダルビッシュ前田健太も手術。お金は、まぁ、日本に残るよりも一杯もらえるんだろうが、野球のレベルで言ったら日本だって決して低くない。サッカーとは違う。

野球というのは記録が残りやすいスポーツで、日本に残ったまま怪我のリスクを抑えつつ、松坂のポテンシャルに見合った記録を残してほしかったなぁというのは思うところ。

 

 

さて、松坂について語ってきたわけですが、何を隠そう、僕、松坂世代。1980年生まれ。

この学年は野球側でキラ星のごとく人材が出てきたわけだけれど、僕としては、サッカー側も頑張ってほしいなぁ、と思ってきたわけで。

 

ハイライトは99年ワールドユース準優勝。

そう、あれも松坂世代

ただ、学年としては2つに跨ってて、こと本大会については79年生まれで占められてしまって。

予選は市川大祐と金古聖史がレギュラーとしていたんだけどね。怪我やら体調不良やらで。残念だったね。

だから、あの快挙も俺らの年代だぜ、と嘯きつつ、モヤモヤしたものは残って。

 

調べてみると中村憲剛も80年生まれなんね。まぁ、彼がトップかな、松坂世代の。ただ、彼が台頭した頃には正直、日本代表には興味を失っていたし、僕自身としては同じ年齢だという認識は持っていなかった。

強く印象に残っているのは二川くんかな。ガンバ生え抜きで、かつ強くなっていったチームの中できっちりと存在感を示し、代表に定着するほどではないにせよ、背中に10を背負って、名門チームの顔として活躍した。

いやぁ、好きなんですよ。決して主張が激しいタイプではないのに、10番を纏う中盤の選手。

自分と似たタイプでもあるし、クラブでの功績含めて、松坂世代のサッカー選手として名前を挙げたい。

 

その中でベストとしては、エスパルスファンとしては市川大祐の名は挙げたいなぁ。

17歳での代表選出、フランスワールドカップ最終候補メンバー入り、そして2002年日韓ワールドカップ出場。僕世代で最初に脚光を浴びたスポーツ選手では。

 

彼の良さは、どれだけアップダウンしても厭わない体力と、オーバーラップのタイミングの良さと、そのオーバーラップの勢いのまま繰り出すセンタリングの精度。

サイドバックとしてのセンスは日本人最高レベルだと信じている。

 

残念だったのは時代かな。

彼の全盛期はスリーバックが持て囃されていて。ウィングバックで起用されていたけれど、あらかじめ高い位置でのポジションでは彼の能力を充分には発揮できない。止まった位置からのセンタリングは、キックの精度が足りないし、突破力があるわけではない。

サイドバックとして日本最高クラスの能力がありながら、それを発揮できなかった時代背景。

4バック信奉者の僕としては、痛し痒しな気分で彼を見ていたものです。

 

同い年の選手は思い入れが強いものですが、僕の中のベストは市川大祐でした。