運動音痴のサッカー好きが大人になったら

かろうじて小学校はサッカー部。その後は文化部だった運動音痴が、それでもオタク的なサッカー好きに成長して、フットサル、息子の所属するスポーツ少年団でパパさんコーチをこなす奮闘記

大会でのBチーム采配 平等に出したがゆえに感じる申し訳なさ

3年生が大会に出張りました。
まずは予選リーグの4チームトーナメントで、優勝すると年明けの決勝トーナメントに出てるという。

3年生多いので2チームで参戦。
別ブロックに入ったわけだが、メインコーチがいわゆるAチーム・Bチームでやりたがっていることを感じられて。別にそうじゃない子を排除したいわけでなく、今の実力を確かめたかったみたい。
ここで、問題が。その順で行くと、長男もAチームに入ってしまい、コーチ4人中3人がAチームを見てしまう羽目に。

メインコーチのやりたいようにやらせてあげたいというのもあるし、3年生だけでも2チーム作れるだけの人数はいるけれどギリなので2人呼んだ2年生を普段見ているのは僕なので(彼らもすごい上手だけど、さすがにBチーム側)、僕がBチーム側を見ます、と後押し。
なかなか長く試合に出られない子も多いので、今回こそは一杯試合に出てほしいという気持ちもありました。

ということで、結局、長男の試合は見れず。予備審やりながらちらちら視線送ったのと、試合展開の関係上、こちらが早く終わった決勝戦のそれこそ最後2分ぐらい。
まぁ、いいや。見てても多分イライラするだけだから(笑)


Bチームは女の子、2年生いたけれど、完全平等に試合に出したりました。
10人だったので、5人5人にわけて、前半ないしは後半は出ずっぱり。空いたキーパーとフィールド2人を、休んでいる5人で回すという。
この方法だと、フィールド内に2人、女の子が立つという時間帯が半分出てくるわけですが、試合になるかな、という一抹の不安はよぎったけれど、これまた普段、彼女たちを見ているのは僕(2年生にも女の子が、彼女たちはみんな固まって1・2年合同練習のほうにやってくるので)。僕がやらなきゃ誰がやる、という心意気でやってやりました。
けれども、片方の女の子、意外といったら失礼ですが、めちゃくちゃ活躍してくれました。成長が早く体が大きいので、結構ドリブルを止めてくれて。まぁ、そこまではできるかな、とは思っていたけれど、そこでガンと蹴られてボール取られんだろうな、と予想していたところ、(ボールを持っているのが怖いからという理由が一番大きかったのかもしれないが)ちょんとボールを浮かして横にはたいて、他の味方が拾うという。いや、ホントごめんさない。あんな芸当出来るとは思っていませんでした。
だってね、練習終わりのゲームの時なんて、突っ立ってるだけでほぼ参加してこないんだぜ。2年生の女の子みたく、談笑してないだけましだが(爆)。
まぁ、普段はドリブルしろーって言ってるからなぁ。あれはきっと怖くて嫌なんだろう。好きにやらせたら、もっと上手になるかも、と思い知らされました。


最初の試合は、別山の2チームでしたが、うん、こりゃ、どっちが上がってきても勝てないかな……。
そんなこと思いつつ、じゃあ、せめて一回戦は勝ち上がろうや(ちなみに1回戦の相手は過去公式戦で戦ったことがあり、その時には勝っていた相手)と、ポジションも平等に出す気でいましたが、1回戦が強めのフォーメーションになるように若干操作。
いきなり2年生が連続得点取り出し、余裕じゃんと点差も数えていなかったら、途中で猛攻食らい出し、あれ、今何点差? もしかして同点? とか焦りつつ、それでも平等に、という原則を守った中、最後は2年生の決勝ゴールで見事1回戦突破。

勝戦は、正直勝てないだろうなぁ、と思いつつも、やはりみんな平等に出場させ、0-4の大敗。
それでも、試合後、あいつ等がいれば勝ったのに、などと不満を漏らす者はゼロで、全員が悔しそうな表情を見せてくれました。
ごめんな、俺が上手く采配できず、勝たせてあげられなくて、と言ったら、そんなことはない、と言いながら首を振る2年生。頼もしい。

普段なかなか試合に出られず、ようやく掴んだ出場機会で、勝つ喜びを知ってもらえて、負ける悔しさも覚えて。
「少年団」なので。
勝つことよりも、ずっと大事なことはあるはずだ。
そんな思いを改めて、僕も感じた一日でした。


と言いつつ‥‥‥


試合終了直後は、そんな感慨に包まれておりましたが、時間経過とともに、心の中に申し訳なさが。

Aチームは順調に勝利で、年明けの決勝トーナメントに参加で。
Bチームは、負けてしまったので、試合には出れず残って練習参加することに。

まぁ、つまりは試合の場を奪ってしまったわけですよ、僕は。

仮にBチームの中でもベストメンバー揃えて、僕の交代が上手くいって、僕らの声掛けが有効な策を生んだとして、それでも勝てたかな?という実力差だったことは差し置いて。

例えば親から見たらわかるわけですよ、僕が勝利に全力を出していないことは。
もっと言ってしまえば、采配放棄ですよ。見ようによっちゃ、的確なメンバー選定できないから、全員平等に出す、という謳い文句でお茶を濁したとも見える。
Bの中にも上手い子はいて、その子をずっと出していたら(出すべきだろう)という声は当然あるわけで。
いや、親の目なんか、別にいいんだけどさ。僕が向いているのは、あくまで子供なんだから。

その子たちにしたって、当然、もっと試合はしたかったろうに。
それに向けて、僕がもっとできたことはあったんじゃないのかな?
平等に出すというコンセプトは良いにして、もう少しポジションを忖度しても、勝負所はガチになっても、せめて彼らを勝利に導けるような声掛けをできていたら。


正直なところ、それでも低学年のうちは平等に、という思いは消えていません。これからもそうします。
でも、それを貫き通すための痛み、っていうのは絶対にあるもんだな、というのを思い知らされました。

平等に出しながら、その上で勝つ。
それをこなしていくのが、コーチの腕の見せ所なんでしょうね。