運動音痴のサッカー好きが大人になったら

かろうじて小学校はサッカー部。その後は文化部だった運動音痴が、それでもオタク的なサッカー好きに成長して、フットサル、息子の所属するスポーツ少年団でパパさんコーチをこなす奮闘記

長男としての気概

ここ2回ほど適性だとか責任感の話をしてきた。

 

僕自身は元々リーダーシップを持っているタイプではないけれど、それなりの立場を与えられれば、そんなもの勝手に身につくんじゃなかろうか、という話。

立場が人を成長させる。

 

けど、その下地を生まれつき持ち合わせていたのかも、というのが今回の話。

 

 

祖母が亡くなった。

 

午前練習が終わって、午後から長男と次男の間に挟まれた4年生の公式戦を応援している最中。

電話がかかってきて、亡くなった、と。

息子がいるわけでもない子供達を優先させて、その間に家族を亡くしたのはなんだかなぁ。

まぁ、ぶっちゃけ次男はその間、単身、スクール側の練習試合に行かせてる時点であれだか。

 

おばあちゃんが亡くなったこと自体については、別段ショックではない。

子供の頃は可愛がってもらったし、結婚前までは一緒に住んでいたし、けど、まぁ、もう90越えてて、ここ10年ほどはトラブル続きで、寝たきりになって、ようやく亡くなったか、というのが人としてどうかと思われるかもしれないが、正直な心情でもある。

 

通夜は一家総出。葬儀と火葬場までは僕だけ参加。

僕と妹含めて、孫は4人。

従兄弟1人は現れず。もう一人は葬儀まで。妹は通夜だけ。

家族のこともあるだろうから、別段それがいけないことだとは思わない。

通夜も葬儀も火葬場での待ちも、ぶっちゃけ面倒くさい。それは全く否定しない。別れを惜しむ気持ちは判るけれど、お経をあげる意味を僕は見いだせない。

出ずに済むなら、それに越したことはないとすら思う。

 

でも、全部出た。

それに対しては躊躇なかった。

 

だって、親父、3人兄弟の長男。

その息子である僕、長男。

 

長男としての責務がある。

 

こういった感情は持ってるんだよなー。昔から。

基本やりたくない、責任感ないんだけど、長男として、やらなきゃいけない状況に陥ったら、一切の疑問なくやる。

 

フットサルの運営も、少年サッカーのコーチも、この長男としての経験、心意気がプラスに働いているんだろうなぁ。

面倒くさいなぁと思っても、立場上やるのは当たり前だ、だからやるんだという気概を、僕は勝手に身に着けていたのかも。

 

長男なんてのは、立場として鬱陶しいだけですよ。

でも、それが故に身に着けれたものがあるのなら、僕にとってプラスだった。

 

だとしたら、俄然、期待するのは長男ですよ。

 

弟はお調子者で、正直、自分とは似ても似つかない。

でも、兄は僕そっくり。もう何から何まで。最近はプレースタイルまで似てきた。

長男の長男、という立場も一緒。

じゃあ、それに対する心構えも僕と一緒? だとしたら、これほど心強いことはない。